杉浦葉奈のイタリア生活|①2010年6月留学スタート

今回は前回の留学前のお話に続き、留学初期を振り返ってみようと思う。若かりし頃の写真が出てくるので、暖かい気持ちで見ていただきたい…のでよろしくです。笑

↓前回の記事はこちらから↓

6月に留学開始が決まった私は、「行ったらできるようになるっしょ♪」とイタリア語の勉強は一切せず、うどん屋でバイトしながらその日を待った。なぜうどん屋かって?その当時唯一半田で時給が1000円超えるバイト先がそこしかなかったから笑

仲良しの地元の友達に送別会をしてもらった時の写真。この時もらったTシャツは引っ越しをしても歴代の部屋のすぐ見えるところに飾ってあって、10年経った今でもちゃんと見えるようにかけてあるよ。

前面にはHANAの刺繍、後ろにはメッセージ。このころはまさか誰も10年後もHANAがイタリアに居るとは思って無かったろうな~。そして当たり前だけどみんな若いな。笑

こちらは大学の仲間たちにしてもらった送別会♡懐かしいなぁ…。大学ではオペラ研究会(いかにもマイナーそうな名前!笑)というサークルに所属していて、ここにいるほとんどのメンバーがそこで活動していた子たち。今も現役で歌ってる子もいるし、ママやってる子もいるし。あ、スイスで勉強してる友達もいるわ。

とまぁ、みんなから温かく送り出してもらい、さぁ出発の日。

今はもうなくなってしまったけど、この頃はJALがセントレア(中部国際空港)-パリ便で運航していたので、パリ経由でミラノへ出発!今ではすっかりルフトハンザやフィンエアーなど外国の航空会社でも何の抵抗もなく乗れるようになったけど、当時はやっぱり日系の航空会社で行けるのはありがたかったな。

お見送りに来てくれた両親と。杉浦家は顔出しNGなのでサングラスのスタンプのせたら、ハマりすぎててうける。笑 サングラスの下では、二人ともとても穏やかな優しい笑顔で写ってくれてるよ。あんまり親の前で泣いたりとかしたくない性格なので必死にこらえてるけど、なんとも言えないこの涙目の表情から、当時不安じゃない!と言ったものの(確かに別に不安ではなかった)けど、24年間実家暮らし、料理も洗濯もほぼほぼしたことなし。しかも行先は外国。多分私なりに心配とかあったんだろうな。なんか初々しい。笑

6月14日、無事パリ経由でミラノマルペンサ空港に到着し、先輩がお願いしてくださっていたお知り合いの方に空港まで迎えに来ていただき、お家まで連れてってもらうという至れり尽くせりのイタリア生活スタート。

初めて住んだアパートはミラノ市内でも割と良いゾーンにあり、裕福な人も住んでいるし、大学も近くにあるので学生もたくさん住んでいる…そんなところにあるマンションだった。5階建ての最上階で、二人と同居。最初の同居人は二人とも日本人女性で、カメラマン?をしている女性(うろ覚えでごめんなさい)と、歌い手の女性だった。

下の階には、日本人で同じ門下になる先輩方が住んでいて、先生のお家はすぐお隣。何でも丁寧に教えてくださったし、ごはんにも招待してくれたのをよく覚えている。そのおかげで全然さみしく留学生活がスタート。暖かく迎え入れてくださった門下の先輩方に感謝。。。

まず初めに買いに行ったのが携帯電話と練習に使う小さなキーボード。(このキーボードには本当にお世話になっていて、今も私の左側に鎮座しております)

もちろんイタリア語力ゼロな私はとりあえず携帯ショップに突入し、(言葉分からないのにどうやって携帯を買おうとしてたんであろうか。。。笑)そこで、日本語を勉強中という女の子の店員さん(フィリピン人・そしてその後友達になった♡)に出会うというミラクルを起こす。彼女のおかげで無事に携帯を購入し、電話番号などの契約も完了!

当時日本では折り畳み携帯いわゆるガラケーが主流だったなか、ヨーロッパではこの手のひらサイズの携帯が一般的だった。懐かしい!ちっさい!そして背景をドゥオーモにしてる私、可愛いな!笑

お部屋の様子はこんな感じ。ベッドが広くて可愛くて、テンション上がったの覚えてるな~。奥に見えるのがキーボードで、友達から餞別にもらったてぬぐいがかけてある。笑

一方肝心な語学の勉強はというと、毎日4時間、午前中に語学学校へ行きイタリア語を勉強していた。イタリア語を勉強していかなかった私は当然のごとくレベル1から。「私はハナです。日本人です。」からスタートし、少しずつ少しずつイタリア語を学んでいった。

でも私は当時勉強をせずにイタリアに行った私のことを正しかったと思う。イタリア語をたくさん勉強してきた日本人は、日本人らしく文法はしっかり頭に入っているのでテストはできる。その結果上のクラスに入れられ、結局ついていけず、下のクラスに下がる…など苦労があったらしいので、私はそれで良かったと思っている。ポルトガル語を話すブラジル人やスペイン語を話す南米系の子たちなど、ラテン語圏からきた人たちと一緒にされては漢字文化のアジア人は大変苦労するのです。語学学校の様子↓

その後語学学校で仲良くなった中国人のラン(2歳年下)がお家に引っ越してくることになり、その後の家でもシェアすることになる。

お互いがイタリア語初心者なうえ、私は英語が喋れない。二人で話す時は辞書を片手が基本スタイル。毎晩ご飯を食べた後遅くまで話していたのが懐かしいなぁ。最初は会話にならなかった二人でも、少しずつ命令形、過去形などが言えるようになり、だんだんと意思の疎通ができるようになっていくことにより、語学力のレベルアップを体感していた私たち。笑

とある日のお出かけの様子。↑ランと一緒に♡

当初よく聞かれた質問が、「どのくらいで喋れるようになる?」。もちろん本人の努力次第だから、うまくなる気がなければ1年イタリアにいたって10年いたって喋れるようにはならない。私の実感としては、やる気があってちゃんと勉強したら3カ月くらいあれば少なくとも自分の意志は伝えられるようになるかな…と思っている。

こうして何一つ特筆すべきアクシデントが起きることなくスムーズに留学生活がスタートしていった。

と今日はこのあたりで終了。10年前に戻った気持ちで文章を書いていくのは楽しかった。そしてなんだか本当に初々しい…笑 

当初1年半の予定だった留学生活。この後なぜ2020年になった今もなおイタリアに残り続け、そしてなぜヴェローナにいるのか。そこまでたどり着くころには⑩くらいまでいっちゃうかもしれないけど、気長に待ちながら、気の向いたときにお読みください。

今コロナウイルスにより騒動の中心地となっているミラノ。

このトップ画に使った写真は2010年の6月に私が撮影したもの(無加工)。この青い空に映えるドゥオーモの周りには、外出禁止令が出ている今人がおらず街は閑散としているそう。早く元通りのにぎやかさがミラノに戻ってきますように。。。

それではみなさん、よい週末を♡

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。