杉浦葉奈のイタリア生活|留学決定までのお話

毎日毎日、コロナコロナコロナ!もう気が滅入っちゃうわ!って人も多いかと思うので、今日はまっっったく関係ない記事を書こう!笑 何について書こうかな…と考え、とりあえず私の留学までの経緯を杉浦葉奈の紹介…ということも兼ねて書くことに決めた。何せ10年前の記憶だから時系列が怪しいところもあるけどお許しを。

まず、私がイタリア留学を決意したのは2010年大学院2年生の卒業後。大学4年間、そして大学院の2年間でオペラを学び、毎日毎日学校に行って授業やオペラの練習に明け暮れる日々で、本当にずっと歌ばっかりやっていた学生生活。

ちなみにこう見えて学生時代は優秀で(自画自賛笑)、学部時代2年生と4年生で特待生として奨学金をもらい、学費の一部が免除ということもあった。(自慢笑)

とにかくオペラをすることが楽しくて、歌うことが楽しくて、仲間と過ごす時間が楽しくて、毎日毎日オペラのことばっかり考えてがむしゃらに生きていたら、院を卒業してしまっていた。笑

たた~ん笑

卒業後の進路も決まらないままの私を見るに見かねた先生がイタリア留学中の先輩を紹介してくださった。当時その先輩はイタリア生活を6年経験し、日本とイタリアを行き来しながら活動されていた。その先輩とお話できる機会を下さり、イタリアについての話をいろいろと教えていただいた。当時付き合っていた同い年の彼が2年遅れて大学院へ入ったことで、私なりに学べる環境の違いに焦りを感じ、「大学院までいったんだから次はイタリアっしょ!」っと割と軽い勢いで決めてしまった。確か春ごろにお話をさせてもらって、留学したのが6月。我ながらなんとも思い切った決断をしたな、と思う。

ここで、オペラに全くなじみのない方は「なぜイタリア?」と思われた方もたくさんいると思う。

実はオペラ発祥の地はイタリア。1600年にイタリアのフィレンツェで生まれた芸術で、大きく分けてイタリアオペラとドイツオペラの2種類に分類され、オペラ歌手の多くはそのどちらかを専門としてやっていくことになる。その中で、私が学生時代から惹かれて好きだったのはヴェルディやプッチーニを代表とする感情をストレートに表し、愛だの死だのを美しいメロディーに乗せて歌うイタリアオペラだった。

歌うということは“歌詞”があるわけで、それは当然イタリア語。学生時代はオペラ一本分の対訳を全役分全て楽譜に書き込み(色は青ペンと決めていた。笑)、自分の歌う曲や役のイタリア語は全て単語の意味を調べて楽譜に書いていた。

でもそれはあくまで“訳されたイタリア語”であって、自分の心とは繋がっていない言語だった。Amore!アモーレ!と歌っていて、愛!ということは分ってはいるけど、心で感じている言葉ではなかった。

その言葉と心の壁を取り除きたい!というのが最初の目標だった。

もちろん、言うまでもなくその当時のイタリア語レベルは0。あ、でも歌っていたから発音は少なくともできてたから…1かな笑 とにかく言える単語といえばBuongiornoこんにちはとGrazieありがとうくらい。笑 ちなみに、大学4年間イタリア語の授業はありましたけど?なにか?笑 大学の授業で覚えてたのはなぜかFaccio la docciaファッチョラドッチャ=シャワーを浴びる、のみ。笑 なんか音が可愛くてそれだけ覚えてた。

そんな私がなぜイタリア留学に踏み切れたかというと、もちろん先輩のサポート(先生も住む家も紹介してくださり、ビザをとるサポートから空港にお迎えに来てくれる方を手配して下さっていたほどまでの手厚いフォローに、何の不安もなかった。先輩にはただただ感謝です。)があったことはもちろんのこと、それまでに旅行で2回、講習会で2回の合計4回イタリアに行ったことがあった、ということは大きかったと思う。

今からちょうど11年前!2009年の3月に母とイタリア旅行に来た時の写真。(顔出しNGの母様だけど、白飛びしててぼやけてる+10年以上前の写真だから掲載許して♡)定番の真実の口に手を入れるあたり、いかにもな観光客で良い。笑

同じく2009年夏、大学院二年生の時に大学の友人とヴェネツィアのさらに東、トリエステという町でレッスンを受けた時の様子。若いな…笑 

これはそのさらに1年前の大学院1年生、2008年の夏の講習会に参加した時の様子↓私(後列中央)眉毛ないけど…いいのか?笑 そしてなんか日焼けしてるし。笑

若気の至り…ですね。笑 初めて受けるイタリアでのレッスンに浮かれ具合がにじみ出てるわ↓

そしてそれよりさらに遡ること1年半、今から13年前の2007年2月が私にとっての初イタリア。大学の友人達と参加したオペラ観劇を含んだ特別企画のツアーだった。当然当時はまさかまさか自分がイタリアで暮らすことになるなんて、みじんも思ってなかった頃。初めて入ったイタリアの劇場はナポリのサンカルロ劇場。そしてそれ以降行ってない。

オペラの歴史の中でも重要なポジションのこのナポリの劇場、改めて行かなきゃ。

そんな過去のイタリアでの経験もあってか、イタリアに行くことにあまり抵抗はなかった。

とにかく、今よりもっと学べる環境!と思った先が本場イタリアだった。親に相談し、ありがたいことに応援してもらえることになり、当初“1年半”の予定で留学が決定した。先輩のおかげで面倒くさいと言われていたビザ申請も全く問題なく進み、当時まだJALのセントレア-パリ(中部国際空港)便が飛んでいて、マイレージでパリ経由ミラノ行きの航空券をとり、数週間の空席待の状況から2週間?10日くらい前?に6月14日に出発と決定。

このとんとん拍子に決まったイタリア行きを留学後にミラノで出会った知り合いに話した時、「勢いでここまで来ちゃった!」と言った私に「それは上手く流れにのった、ということで、物事が上手くいく時は、そういう風にとんとん拍子に進んでいくものなんだよ、だからそれは今良い流れの中にいるってこと」って言われてなんだか妙に納得したのを覚えている。

本当に迷いも、不安もなく、まさに流れにのってイタリア留学が決定した。

と、留学決定までの経緯を書き終えたところで、今日は終了。このコロナ騒ぎの中、十何年の前の話を、私の留学決定までの様子を読んでくださり、ありがとうございました。

10年以上前のことを思い出しながら書くのはそれはそれで原点回帰、私にとってもいい機会になった。

続きはまた後日書きたいと思うので、気長にお待ちください…♡

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