♡祝30回♡出身ピアノ教室の発表会が30周年を迎えました!

ちゃお♪

コロナの影響で18時以降飲食店が閉まっているイタリアですが、今まで挑戦してみたかったけど未だ出来ていない出前(日本でも人気のUberなど色々なアプリがあります!)に挑戦してみようかな…なんて思ってるはなです♪ どんな状況下でも小さな楽しみを見つけることも生きていくには大切なのかな…なんて考えてみたり。笑

さて!今日は11月1日は私の出身ピアノ教室の発表会が30回を迎える記念すべき日なのです!

私には今までの音楽人生の中で恩師と言える先生が3人います。幼少期からお世話になっているピアノの鈴川先生、高校生の時に初めてついた歌の先生、内田先生、それから大学時代の先生、長野先生です。

私がこうして今も音楽を続けていられるのは、全ては音楽の基礎を教えてくれ、そして決して優秀とは言えなかった私を見放さないでいてくださった鈴川先生のおかげ。

先生、30回記念、おめでとうございます!

向かって左、私の恩師、鈴川先生です!(右は歌の恩師、内田先生です!)

今日はこの記念すべき日に私の隠れた?笑 ピアノ史を振り返ってみたりしよう。笑

そもそも私がなぜ音楽を始めるようになったかというと…

正直、覚えていない…笑

母親から聞いた話によると、実家の近くにピアノ教室があり、自分もピアノを始めたいと言ったのだそう。その時の年齢3歳。

ピアノを弾くには3歳の手は小さすぎるので、まずは音楽の基礎を学べるリトミックというメソードをしている先生が他にいるから…と紹介していただいたのが鈴川先生だったそう。

3歳で自ら音楽がやりたいというなんて、私、なかなかやるじゃん!笑

そうして始まった音楽人生、5歳の時にピアノを初め、1991年、5歳の時に第1回の発表会に参加させてもらう。

前列、青いドレスの女性の右横の田舎臭いチビが私。笑

それから30回の発表会までに本当に先生にはたくさんのことを教えていただいた。

歌うことは好き、だけど音痴。音楽は好き、だけど練習は嫌い。

生徒として決して優秀だったとは言えない私を見放さずに育ててくれた先生には、本当に感謝しています。練習をせずにレッスンへ行く私を呼び出して練習するよう促してくださっていたこと、先生がどれだけ情熱を持って指導してくださっていたか理解できる年齢になった今、改めて「ありがとうございます」の気持ちしかありません。

↑大学生になっても在学中は発表会に出させてもらっていた。

高校生になった時、中学の音楽の先生になりたいという私の将来の夢を叶えるべく、音大への進学、そして、音楽の先生になるためにいずれ必要になるから…と高校生の私に歌の先生を紹介してくださり、通うように進めてくれたのも鈴川先生だった。

高校時代、部活人筋、体育会系で生きていた私は相変わらず練習をせずにピアノのレッスンを受けていた。

「音大へ行きたいのならすぐに部活をやめなさい」という先生の言葉に泣きながら「部活はやめません」って言ってたの、覚えてるな。。。笑

助言は無視し、練習はしてこない。

なんて生徒だ!笑

こんな生徒を見捨てずに面倒を見てくださった先生には本当頭が一生上がりません。

↓歌を始めてからは舞台なれも兼ねて発表会で歌わせてもらっていた。(関係ないけどこのフラワーアレンジメント斬新で素敵!大学3年生くらいかな。)

↓お水のお姉さんみたいなヘアセットが流行っていた頃。笑 大学2年生くらい…かな?これもお花が素敵だなぁ♪

今回、発表会の写真を日本にいる母親とビデオ通話しながら探していた時、思わず大爆笑してしまったこの写真。↓

なぜ?がいっぱいで、ツッコミどころが満載…とうかツッコミどころしかないこの写真。笑

高校1年生くらいかな。。。どう考えても発表会の服装じゃない格好で舞台の上に乗って、しかも足元はレッグウォーマーとミュールという謎すぎるしペダルを踏むのにありえない選択、その上譜めくりさんがいるということは暗譜すらしていないという。

本当、先生ごめんなさい。。。としか言いようがないよ。

正に黒歴史。

その後改心したのか、1年で激変。笑 とりあえずドレス着てる。笑

私がイタリアに来てからも、日本で公演があれば会場に駆けつけてくださったり、

イタリアに娘さんと訪ねてきてくださったり。

そして、ピアノ教室を卒業してからもゲスト(歌)として呼んでくださったり。

自分の小さい頃を思い出しながら、少しでも小さなピアニストたちの心に残る演奏、そしてメッセージを、と心がけながら話させてもらいました。

第一回発表会の時に自分がそうであったように、私の横には小さな小さなピアニストくんが座っていてる♡

こんな私ですが、鈴川教室の出身音楽家としてゲストとして呼んで頂いて、こうして先生の横に座って集合写真に写れること、実はとっても嬉しかったです。

鈴川先生がいなかったら私の音楽人生は始まっていなかったし、出来の悪い私を見放さずに情熱を持って教えてくれる先生がいなかったら私は音楽をやめていたかもしれない。先生に勧められていなかったら歌を始めることも、そしてその先のオペラに出会うことも、ましてやイタリアに来ることもなかったと思う。

大人になって、「情熱を持って教える」ということにどれだけ多くのエネルギーが必要なのか分かるようになり、より先生が私にしてくださったことに感謝するようになりました。

今回、コロナがなければ30回記念の発表会に歌いに駆けつけて、お祝いのメッセージを直接お伝えしたかったところですが、この状況で思ったように動けずそれも叶わない今、こうしてブログ上で私のピアノ史を交えながら、感謝の気持ちとお祝いの気持ちを書かせてもらいました。

ゆかり先生、30回記念、おめでとうございます!

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