杉浦葉奈のイタリア生活|②留学初期ミラノ生活

世界中にコロナウイルスの脅威が広がり、毎日状況が変化していく。イタリアも今後どのように変わっていくかは分からないけど、この外出禁止生活の成果が一日でも早く数字として表れてくれることを祈るばかり。。。

毎日毎日コロナのニュースばかりでお疲れの方もいると思うので、今日は全く関係ない初期のイタリア生活の続きを書こうと思います♡こんな感じでミラノで生活していたんだな…など過去を見てもらえると嬉しいです♪

2010年6月から2019年3月まで約9年間!ミラノで暮らしていたので、それをどう区切ろうかと考えたところ…住んでた家で分けることにした。家を変える=生活環境が変わったということもあり、自分の中で整理がつけやすいので。

  • 1件目(最寄り:ミラノ地下鉄緑線 PIOLA駅徒歩10分)
  • 2件目(最寄り:ミラノ地下鉄緑線 PIOLA駅徒歩10分)
  • 3件目(最寄り:ミラノ地下鉄赤線 BUONARROTI駅徒歩5分)
  • 4件目(最寄り:ミラノ地下鉄赤線 PRIMATICCIO駅徒歩5分)
  • 5件目(最寄り:ヴェローナ市バス バス停Via Quattro Novembre徒歩5分)

つまり今まで私は4回もイタリアでお引越しをしたということ!回数の多さに自分でもびっくり!笑 

1件目のお家を大家さんの都合で出なくてはいけなくなりこちらのお家へ引っ越すことになった。前回の家に引き続き、同居人は中国人のラン。お互いの語学力もアップしだいぶコミュニケーションが取れるようになった頃。ほぼ意思の疎通は問題なくできてた。…と思う。笑

1件目のお家から徒歩50歩くらいのところにあるこのお家。2010年12月から2014年2月まで約4年間をこの家で過ごすことになる。片面全てがクローゼットで、収納がたくさんある+アンティークなスタイルでイタリアらしいお家に住めて嬉しかった!(留学前の記事で紹介したHaNaTシャツもちゃんとかけてあるよ)

間取りは2部屋+お風呂+小さなキッチン。同居人の部屋を通らなければキッチンへ行けないとうい非常に特殊な環境(笑)な中で暮らしていたこの4年間。今考えるとよくやってたな…と思う。私はキッチンへ行くために“通過する”側だったからまだ良かったけど、自分が“通過される”側だったら嫌だっただろうな。笑

キッチン側から同居人の部屋の方を見た眺め。(同居人の白クマちゃんとわんちゃんが見える。笑)

2012年の年末にランが中国へ帰ってから、2人目の同居人エリーがうちにやってきた。この上↑のくまちゃんたちはエリーのもの♡

私がひどい顔してる写真しかなかった…笑 エリーは私が今住んでいるヴェローナ出身のポップスやミュージカルを歌う歌手で、お父さんはクラシック指揮者、お母さんはソプラノというサラブレッド。仕事の機会を求めて親元を離れてミラノへやってきた。めちゃくちゃ可愛くて、歌もうまくて、気遣いもできて…私は心底同居人に恵まれているな、と思った♡

新しいお家に引っ越したくらいから、自分のその時ついていた先生の旦那さんが主催するコンサートに出させてもらえるようになった。この写真は初めて出演したコンサートの時の写真。2010年12月22日クリスマスコンサート。私にしては珍しくFacebookにちゃんと日付をつけて写真をアップしていたので日にちを振り返ることができた。ありがとう、私。笑

ドレスはイタリアに持ってきていなかったため、ミラノの中華街のドレスショップで買ったもの。その後何回もお世話になったありがたいドレス。たぶん1万円しなかったくらいだと思う。笑 そしてその後何度も歌うわせてもらえることになるこの会場はイタリア軍が所有する施設で、本当に素敵でどこで写真をとっても絵になる、という建物だった。とにかくかわいい!

2010年から始まったイタリア生活のなかで、2011年、2012年とコンクールで賞をもらうことができた。賞歴というのも重要視される日本のプロフィール(こちらでは実力主義+コネ主義(笑)なのであまり賞歴は関係ない)においてはこの賞たちは大切なものとなった。

2011年マグダオリヴェロ国際声楽コンクールで初めてBorsa di Studio奨学金…いわゆる奨励賞?という賞をいただいた時の様子。私の前に座っているのがマグダオリヴェロさんで、2014年に104歳で亡くなられた世界的なソプラノ歌手。この時すでに100歳オーバーでしたが、非常に凛とした、知的な方でした。(横向かれているのが残念!)

2012年にはイズマエーレヴォルトリーニというコンクールで3位という賞をいただくことができ、その時の表彰式の様子を写した写真を写したもの。笑↓

↓2013年コンサートの様子。イタリアでは野外でコンサートをすることも多く、中庭を使ったコンサートにもよく出させてもらっていた。

こうしてコンクールやコンサートでの経験を得ていくことにより、自分がいかに未熟でまだまだ勉強が必要ということを改めて実感していき、1年半という当初の留学期限では足りるはずもなく、あと1年…また1年…と伸ばしていき、今もこうしてヴェローナで頑張っているところ。歌の勉強に終わりはなく、「もうこれで私は完璧だ!」なんて思える日は一生来ないわけで、例えこの先イタリアに残ろうとも、日本へ帰ろうとも、一生自分自身を高めていける、それがオペラであり、それに出会えたこと、そして打ち込める環境にあることに感謝している。

最後の写真は当時ミラノでついていたカティア先生(2010年から2015年まで5年間お世話になった)のレッスン室。(またまたサングラスをかけた母が登場。笑 両親がミラノへ来てくれた時に授業参観ならぬレッスン参観をしに来た時の写真。笑)ここは美術館?ってくらい絵が飾ってあって、まさに芸術に囲まれた空間だった。この背後にピアノがあり、そこでこちら側に向かって歌う、というシステムだった。

2010年12月から2014年2月まで振り返った今回のミラノ生活だったけど、写真を見返していると2010年、2011年あたりはまだおぼこい?表情をしている中2012年あたりからイタリア生活も3年目となると表情も変わってくるのも不思議なところだと思った。語学力がアップしたり、イタリアの空気にもなじんできた証拠なのかもしれない。10年経った今、友達からはすっかりイタリア人扱いされるのが定着しているけど、私の理想は“日本人の心を忘れないイタリア人になること”で、これからもそれを目指していこうと思っています!

こういう過去を振り返った投稿を書くと、私も写真と共に振り替えられるいい機会になるし、自分のたどってきた軌跡を紹介するのは私にとってもいい機会。

これらの記事を読んだ方に杉浦葉奈のことを少しでも知ってもらえると嬉しい限りです。まだまだ続くイタリア生活を振り返るシリーズ。次の更新までまたしばらくお待ちください♡頑張って書きますので、待ってないなんて言わないでね♡笑

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