ミラノ生活心のより所|イタリア語の先生マリア・テレーザ

2010年留学を始めた時、私のイタリア語力は0…いやさすがに0ではないけど、限りなく0に近い1だった。笑

知っていた単語といえばグラーツィエ、ボンジョルノ、ボナセーラ。。。イタリア語を習っていなくても言えるであろう単語しか知らなかった。笑

もちろん、大学時代からイタリア語を専門に歌ってきたから読むことは問題なくできたし、オペラを歌っているので「死!」とか「愛!」とか「血!」みたいな実践で全然使えない単語ばかり知っていた。笑

「まぁ行けば喋れるようになるっしょ」という軽いノリの元、全くイタリア語を事前勉強せずに行き、とりあえず3ヶ月だけ語学学校を申し込み、後はその後決めようということにしてあった。

3ヶ月あれば基礎は何とかなるでしょうと。軽っ!笑

その読みは悪くはなく、3ヶ月語学学校へ通ったら簡単な意思表示はできるようにはなった。ただ、「簡単な」。相手の言っていることが何となーーーーくわかり、自分の「あれが欲しい」「これが食べたい」などの要求を言えるようになっただけだった。

もちろん語学に対する考え方は人それぞれで、文法なんか気にせず、どんどん現地のイタリア人と喋っていって、間違ってても何でもとにかく話す!そして別に間違ってても気にしない!という人もいる。

言葉は伝わればいいのだから、ある程度のレベルまで行けばそれ以降はもう個人的なこだわりの世界になってくる。どれだけ正しいイタリア語を書いたり、話せたりできるか、そしてどれだけより適切な言葉や文法を使って表現できるようになるか…。それはもう本人のやる気次第になってくる。

でもとりあえず、私が3ヶ月語学学校を終了した時点ではまだ明らかに文法の知識も足りず、勉強を続けた方がいいことは明らかだった。

そんな中で同じ歌の先生についている先輩に紹介して頂いたのが、マリアテレーザだった。

↑マリアテレーザと旦那さん。間にかかっているのは私のおばあちゃんからの贈り物のちぎり絵。玄関に飾ってくれていました♡

マリアテレーザは出会った時はまだ60代だったのかな?いや70歳丁度くらいかな。。。ミラノの語学学校で先生をしていて、退職したばかりの先生だった。

レッスンは彼女のお家で受けていて、時によって週2だったり週1だったり。。。初級レベルから、最後C1(6段階中上から二番目のレベル)の資格を取るためのレベルまでずっとレッスンを受けていた。

語学学校の生徒にホームステイとして部屋を提供していたこともあり、外国の文化にも興味深々。日本食を作ってみたいとのリクエストで、巻き寿司を作ったことがあったなぁ。。。笑

↓懐かしい。。。♡

オペラ好きなマリアテレーザはよくコンサートに来てくれていて、私がコンサートで歌うことをとても楽しみにしてくれていた♡

家にはオペラのレコードやCD、台本がたくさんあって、前はスカラ座にも良く行っていたと前に話してくれた。ヴェローナへも語学学校の生徒の引率で何回か野外オペラを観に来たって言ってたなぁ。

イタリア語の文法が一通り終わると、オペラの歌詞を一緒に勉強した。彼女もオペラに精通しているということで、オペラの台本独特の言い回し、表現方法やの難しい言葉の説明、全体的な解釈など聞けば何でも教えてくれて、自分でコンサートするようになってからは和訳の手伝い(もちろん伊→和ではなく伊→伊でのヘルプ)もしてくれた。

マリアテレーザはミラノでのおばあちゃん(って言ったら怒られるかな?笑 でも年齢的にはそんな関係)のような存在で、いつも温かく接してくれて、ご飯に招いてくれたり、クリスマスの集まりに呼んでくれたり、家族のように良くしてくれて、イタリアの文化について色々なことを教えてくれた。

留学2年目、扁桃腺が腫れて高熱が出た時も、まだまだ言葉が不安な私の通訳(もちろん伊→伊でのヘルプ)のため救急病院へお願いして連れてってもらった事もあったな。。。

そう、何でこの文章が全て過去形かというと。。。

今から約1年前、今も良く覚えているけど、ヴェローナの駅で彼女からの不在着信に気づき、かけ直すと電話先の声はマリアテレーザじゃなかった。

彼女の甥っ子さんから彼女が亡くなったことを知らせる電話だった。

お葬式があるから、良かったら私にも来て欲しいと。

生前にマリアテレーザが私のことを彼女の甥っ子や兄弟に話していてくれたらしく、どうしても私に知らせなくては、とマリアテレーザの携帯のロックをどうにか解除(設定していたのが甥っ子でロックの方法を覚えていたらしい!)し、それらしい名前の私の番号にかけてきてくれた…とのことだった。

旦那さんは病気で入院生活を送っていたので、一人暮らしだったマリアテレーザが自宅で倒れて亡くなっているのが見つかったとのことだった。

その時のミラノは本当に6月にしてはありえない暑さが続いていて、その日も、その前の週もヴェローナからミラノに行っていて、「暑い日が続いてるけどマリアテレーザと旦那さん大丈夫かな…」と気にかけていながらも、「また来週にしよう」「また今度にしよう」と先送りし、心配の電話も入れずに時が過ぎてしまっていた。

どうしてあの時心配の電話をすぐしなかったのかな。

一生残る後悔だと思う。

お葬式はミラノではなく故郷の教会で行われる…とのことでヴェローナから電車とバスを乗り継いで向かうことに。彼女の生まれた街クレーマには私はそれまで行ったことがなかった。まさかお葬式のために行くことになるとは。。。小さいけど可愛らしい街だった。

式はこのクレーマの街からバスで行った小さな街の教会で行われ、棺はそのまま車に乗せられ墓地へと運ばれていった。

お葬式の後には写真の裏に生年月日、没年月日が書いてあるカードをもらった。これもイタリアの文化だそう。

たくさんのイタリアの文化を教えてくれたマリアテレーザ。お葬式まで見せてくれなくても良かったのにね。。。。

最近ヴェローナは嵐の日が続いていて去年みたいに暑い日はないんだけど、ふと、1年前のことを思い出してマリアテレーザについて書いてみることにした。

イタリア語のこと、イタリアの文化のこと、たくさん教えてくれたマリアテレーザ。家族のようによくしてくれて、いろいろ助けてくれたマリアテレーザ。

お礼が言えなかったのが本当に本当に心残りだけど。

それもまた人生なんだよ、「また今度」は無いかもしれないよ、と教えられたような気もする。

マリアテレーザ、ありがとう。

Maria Teresa, grazie di tutto.

もうすぐ1周忌、お墓参りか、住んでいたお家へ行ってみようかな。

悲しく終わらないための…

◇◆おまけ◆◇

最寄駅からマリアテレーザの家まで行く途中によく見かけた猫の寝相。笑

リラックスしすぎやろ〜!笑

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