杉浦葉奈のイタリア生活|④中期ミラノ生活

2010年6月からスタートした私の留学生活の紹介も、ついに4件目!

↓歴代の家のおさらい↓

  • 1件目(最寄り:ミラノ地下鉄緑線 PIOLA駅徒歩10分)
  • 2件目(最寄り:ミラノ地下鉄緑線 PIOLA駅徒歩10分)
  • 3件目(最寄り:ミラノ地下鉄赤線 BUONARROTI駅徒歩5分)
  • 4件目(最寄り:ミラノ地下鉄赤線 PRIMATICCIO駅徒歩5分)
  • 5件目(最寄り:ヴェローナ市バス バス停Via Quattro Novembre徒歩5分)

4件目のおうちは、今住んでいるヴェローナのお家の一つ前の家で記憶に新しい=伝えたいことがたくさん!ということで、前半と後半に区切ってお伝えしていこうと思います♡今回は2015年夏〜2017年夏の2年間を振り返ろう!

まずは恒例のお家紹介。私がお家を探すときの条件は、簡単にいうと…

  • 駅近(徒歩10分以内理想)
  • 治安(日本にはない注意すべき点!笑)
  • 家主が住んでいるor住んでいた家

この3点。私の住んでいたミラノという街は地域によって治安の良し悪しの差が大きく、当然その治安によっても家賃が変わってくる。当然治安の良いところの方が高いけど、背に腹は変えられない。私は安全を取る派で決めてる。

場所によっては夜に一人で出歩けなかったり、移民ばかりで雰囲気が良くないところもあったりして、ミラノ暮らしが長くなると、街を歩いていても、“むむむっこの辺は雰囲気が良くないな…”と察する能力を身につけていったり、友達等の情報によってその辺の知識も増えていくもので、この4件目を探す時もその条件を重視して決めた。

もう一つの家主が住んでいるor住んでいた、というのは、イタリアの貸し物件の中には、いかにも“貸すために用意された部屋”というのがたまにあって、家具の使い勝手が悪そうだったり、学生にシェアさせて家賃収入を得るために適当に古い設備を入れてきちんと管理されていない感のある部屋もあったりする。。。イタリア人の気質として、“自分の家は綺麗に使うけど他人のものは関係ない(笑)”というところがあるので、家主の住んでた家、もしくは家主と住むのが綺麗な住みやすい家に巡り合えるコツと私は勝手に思っている。笑

当時のお部屋はこんな感じ♡

それまでずっとシェアだった私も人生で初めての一人暮らしに挑戦。新しいとは言えない家だったし、キッチンは狭い。さらにエレベーターなしの4階(日本でいう5階)だったけど、さっきあげた条件“家主が住んでいた”に当てはまる家だったので、住み心地はよかった♡

家具も可愛く統一されていたし、一人で暮らすにはちょうど良い大きさだった。イタリアにはいわゆる“ワンルーム”というものがほぼ存在せず、Bilocale(ビロカーレ)といわれる寝室とリビングルームという1Lが実質の一番小さな家。この家もそういう間取りだった。ちなみにこの家は家具付き物件なので、家具や掛かっている絵や写真は全て大家さんのものだよ~。

この頃からイタリア生活にもすっかり馴染んでいき、どんどんイタリア人化が進んでいく。笑 もともとオペラという日本文化とは真逆な西洋文化をやっている以上、イタリア人化は目指しているところだったので、それが達成されてきた時期ともいえるかな。笑

ちなみにこの件に関しての私のテーマは「日本人の心を忘れないイタリア人になること」笑 イタリアの良いところも悪いところも知ってるし、もちろん母国である日本のいいとろも、悪いところも知っている。内緒な話、イタリアで暮らし始めた当初、堅苦しいし日本って嫌!ってなって外国かぶれしていた時期もある。笑 今思い返すと若気の至り。笑 私にとっては日本もイタリアもどちらも大切で大好きな国であると今なら胸を張って言えるよ!世界中から尊敬される日本人のうちの一人であることを誇りに思うし、陽気で人間味あふれるイタリア人の気質やイタリア文化が大好きなのは言うまでもない。笑

ちょっと話がそれたけど、ここからはその時期を振り返っていこう。

この2年間の間には音楽の面で大きな変化があった。まずは5年間お世話になった先生のところを、自分のさらなるステップアップを目指して離れる決断をしたこと。そして地元名古屋での演奏の機会をいただけるようになったこと。この大きな二つの変化がその後の人生を変えていくことになる。

2015年10月、大学生時代から当時の名古屋のスター歌手の方たちを見ながら憧れていたエウロリリカという団体から声をかけて頂き、舞台に立たせてもらえることになった。本当にとってもとっても嬉しかった!

大学院卒業時のオペレッタ「こうもり」で立った以来の芸創の舞台へ戻り、歌わせてもらえて自分としては感慨深いものがあったな~。

その後も何度もエウロリリカの舞台に呼んでいただき、憧れていた方々と共演させてもえることに。学生時代から見ていた舞台に自分がのれるというのは、嬉しさと共に毎回毎回真剣勝負。見に来て下さるお客さんのためにも、私を信頼して任せてくださった主催者の方のためにも必死に向かっていくのみ。

2016年6月のトロヴァトーレの舞台↓ 下で倒れているのが服毒自殺した私。笑 (この後この左側の役の人も殺されるんだけど、「二人並んでエビフライみたいに倒れてた」って友達に言われたのが忘れられない。笑 ねぇ、なんでエビフライ?笑)

本場イタリアで演奏の機会をもらうのはもちろん嬉しいけど、こうして自分がオペラに出会い、そしてハマり、朝から晩までオペラのことばっかり考えて、がむしゃらに勉強していたところに歌いに帰るのは、本当に…ありがたい。

日本の他には、イタリアでコンサートをしたり… 

↓とあるクリスマスコンサートの様子。

↓ミラノで開かれたコンサートの様子(素敵な会場♡)

↓出演はこの3人。共演のピアニストのジョルジョ(左)とテノールのマッティア(右)出演者や曲目も自分で考えた思い入れのあるコンサート。

↓イタリアとフランスの間にあるモナコ公国まで歌いに行かせてもらったり…(歌ってる写真がなかった(涙)結果、ただの観光写真みたい!笑)

飛行機に乗ってスペインの離島、カナリア諸島ランザローテまでコンサートに出かけたり(こちらもただただ観光みたいな写真しかなく省略。笑)と、なんだかインターナショナルな機会に恵まれていた時期。笑

自分が演奏する以外にも、ドイツに留学していた先輩を訪ねて北ドイツにあるハンブルクまで訪ねて行って先輩の出演するオペラを見たり、(写真中央やや左、背がちっちゃい血を流している男性が先輩。(って前列みんな血を流してるじゃん。笑)) 

*プチ情報* この先輩が私が大学2年生の時にオペラ研究会を発足し、その初期メンバーに誘ってくれた人。彼がいなかったら間違えなく杉浦葉奈はこうしてイタリアで暮らしていないと言い切れる。私にオペラにはまるきっかけをくれた偉大な先輩です。感謝してます、先輩!

モーツァルトの故郷ザルツブルクまでオペラを見に行ったり…

ヴェルディの故郷ブッセートでオペラを見たり…

とフットワーク軽く、ヨーロッパ中を北へ南へ、東へ西へとよく旅にでてたな~笑 ドイツ・スペイン・ポルトガル・オーストリア。。。名古屋から北海道や沖縄にいくより短い飛行時間で行けてしまうのがヨーロッパのすごいところ。EUができてから言葉さえ違えど、ユーロ圏は両替いらず。格安航空会社を使えば安く気軽に他のヨーロッパの国に行けるというのは、日本にはない感覚だなと改めて思う。

この頃はミラノでの私生活もすっかり安定し、仲良しの友達とミラノライフを満喫し、公私ともにめいっぱい楽しんでいたなぁ。なんだか、若々しくてギラギラしてる!↓笑

プールサイドで一杯飲めるという、いかにもミラネーゼ(イタリア語でミラノ人のこと)が好きそうな空間。おしゃれなイタリア人の中でも、やっぱりミラネーゼの感覚は独特で、ハイセンスかつ都会的。この空間はまさにそ“のミラノらしさ”をよくあらわしてるかも!ミラノでミラネーゼ気分を味わいたいならオススメのお店!

一応住所も載せておきますね♪

Ceresio 7 Pools & Restaurant

Via Ceresio, 7, 20154 Milano

イタリア生活にもすっかり慣れ、私のイタリア人化が始まったころの2015~2017年。日本での演奏の機会もいただきながら、ヨーロッパに住むというメリットを存分に使ってヨーロッパを駆け回り、いろいろ見聞を広げてよりグローバルな視野が持てるようになってきた時期。

2010年の留学開始時点ではまっっっっったく想像していなかった展開で、こういう時期を経て、着々と今の杉浦葉奈が構成されていった…というわけです。

新しいことが起こらない/起こすのが難しいこのコロナ期間。自分の過去を振り返り、未来を見つめる。そんな期間にするのもありなのかな…と思いながら書いていました。

振り返り企画も恐らく残すところあと2回…かな?

ここまで読んでくださったあなた、「はなの過去なんて知りたくないよ」なんて言わないで、次回の更新までお待ちくださいね♡

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

日本語が含まれない投稿はスパム対策のため無視されますのでご注意ください。